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夏毛「あさやけもゆうやけもないんだ」歌詞の意味を考察!裏歌詞が示すものとは?

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どこか懐かしくて、胸が締め付けられるほど切ない。
2020年4月28日に公開された、夏毛さんの楽曲『あさやけもゆうやけもないんだ』は、一度聴いたら忘れられない不思議な中毒性を持つ一曲です。

▲夏毛 あさやけもゆうやけもないんだ

ドット絵で描かれた美しい夜景、UTAUの無機質ながらも温かみのある歌声、そして心地よい浮遊感のあるメロディ。この曲は、ネットミュージックの特定の文化圏で「界隈曲」と呼ばれるジャンルに属し、ある伝説的なクリエイターへのリスペクトから生まれた作品として知られています。

しかし、その魅力は単なるリスペクトに留まりません。謎に満ちた歌詞は、聴く人それぞれに異なる物語を想像させ、多くの考察を呼んでいます。

この記事では、『あさやけもゆうやけもないんだ』の歌詞に込められた意味を深く掘り下げていきます。

「あさやけもゆうやけもない」世界の正体とは?

あるまちに さまよい まいごになったねんじゅう きょくやの このまちに ひとりで きたんだ

あさやけもゆうやけもないんだ 歌詞から引用

この曲の舞台は、一年中太陽が昇らない「極夜」の街。タイトルが示す通り、「はじまり(朝焼け)」も「おわり(夕焼け)」も存在しない、永遠に夜が続く世界です。この独特な世界観は何を表現しているのでしょうか。

考察1.現代社会の労働と孤独の比喩

この「年中極夜の街」は、ファンタジーの世界ではなく、実は私たちの現実、特に都市部で働く人々の生活を映し出しているのかもしれません。

朝、まだ太陽が昇らないうちに出勤し、帰宅するのはすっかり日が暮れた後。そんな生活を続けていると、自分が住む街の昼の顔を知らないまま、夜の風景だけが日常になってしまうことがあります。特に冬は日が短いため、その感覚はより一層強まります。

MVの背景に広がるきらびやかなオフィス街のような夜景は、この解釈に強い説得力を持たせます。故郷を離れ、都会で一人、仕事に追われる日々の孤独感や閉塞感。それが「あさやけもゆうやけもない」という、詩的でありながらも非常にリアルな表現に繋がっているのではないでしょうか。

考察2.「大きな物語」を失った時代の虚無感

少し哲学的な視点になりますが、「はじまり」も「おわり」もないという設定は、現代社会が抱える虚無感を象徴しているとも考えられます。

かつて社会には「こうすれば幸せになれる」といった共通の価値観や目標、いわば「大きな物語」がありました。しかし現代ではそうした物語が失われ、人々は何を信じ、どこへ向かえば良いのか分からない感覚に陥ることがあります。

すたれた じんじゃの とりい くぐる

あさやけもゆうやけもないんだ 歌詞から引用

歌詞に出てくる「廃れた神社」は、絶対的だったはずの伝統や価値観が力を失った現代の姿と重なります。希望(はじまりの朝焼け)も安息(おわりの夕焼け)も見出せないまま、ただ青い夜が続いていく。そんな時代の空気を、この曲は描き出しているのかもしれません。

キーワードから読み解く主人公の物語

歌詞の断片的なキーワードをつなぎ合わせると、主人公が置かれた状況や心情がより鮮明に浮かび上がってきます。

「しかいがぼやけた」涙と酸欠、そして死の暗示

サビの最後に繰り返される「しかいがぼやけた」というフレーズ。この言葉には、いくつかの胸を打つ解釈が考えられます。

最もストレートなのは、涙で視界が滲んでいるという解釈です。「故郷にはもう戻れない」という絶望や、冷たい街での孤独に涙を流しているのかもしれません。

一方で、非常にユニークで心を掴まれたのが「酸欠説」です。もし本当に「昼がない」世界なら、植物は光合成ができず、酸素が生成されません。徐々に酸素が失われていく世界で、主人公は酸欠によって意識が朦朧とし、視界がぼやけている…。MVに緑が一切描かれていないことも、この説を裏付けているように思えます。

さらに、これはこの世界での存在が希薄になっていく状態を表しているという解釈もできます。致命傷を負い、誰にも気づかれず、冷たい都会の片隅で独り静かに意識が遠のいていく…。「しかいがぼやけた」の一言に、様々な切ない物語が凝縮されているのです。

矛盾した感覚

ひかりがないのに めがくらむふゆのうみへ おぼれそうで それがここちよくて

あさやけもゆうやけもないんだ 歌詞から引用

この歌詞には、主人公の矛盾した感覚が見事に表現されています。物理的な光がないのに目が眩むのは、都会の強烈なネオンや溢れる情報、あるいは精神的なストレスによる目眩なのかもしれません。

そして、「冬の海で溺れる」という絶望的な状況に「心地よさ」を感じてしまう。これは、過酷な現実を前に感覚が麻痺してしまったり、すべてを諦めた先にある種の静けさを感じたりする、主人公の複雑な心境を描いているのかもしれません。このどうしようもない無力感と、そこにある種の安らぎを見出してしまう感覚に、強く共感する人も多いのではないでしょうか。

 

隠されたメッセージ「裏歌詞」が明かす本当の心

この曲には、さらに物語を深くする仕掛けが隠されています。動画の最後、アウトロの部分(2:45~)で字幕をONにすると、メロディに合わせて「裏歌詞」が表示されるのです。

さびしくて かなしく すすりなくきく あたたかく でも さむくあさやけも ゆうやけも わすれたもろく きえたんだ

あさやけもゆうやけもないんだ 歌詞から引用

この裏歌詞は、主人公の感情をより直接的に描き出しています。
「すすりなく」という言葉から、やはり涙を流していたことがわかります。「あたたかく でも さむく」という表現は、街のネオンに温もりを感じながらも、心は孤独で冷え切っているという矛盾した心情そのものでしょう。

そして最も衝撃的なのが、「あさやけもゆうやけも わすれた」という一節です。もはや、太陽のある世界の記憶すら失い、この永遠の夜に完全に囚われてしまった。希望も安らぎも、脆く消え去ってしまった…。この結末は、曲の切なさを決定的なものにしています。

「界隈曲」の傑作としての魅力

『あさやけもゆうやけもないんだ』は、xxxx(伏字)氏という一人のクリエイターへのリスペクトから生まれた「界隈曲」の中でも、最高傑作の一つとして語られています。

この曲は単なる模倣ではなく、その独特の世界観や音楽スタイルを継承しながらも、夏毛さん自身の持つメロディセンスや感性が融合して、素晴らしいオリジナリティを確立しているのです。

特に、音楽理論に詳しくなくても心に響くコード進行は絶妙で、「ひかりがないのにめがくらむ」の部分やサビへ向かう転調は、聴くたびに鳥肌が立つほどの感動を与えてくれます。

まとめ

夏毛さんの『あさやけもゆうやけもないんだ』は、都会の孤独、失われた時代の虚無感、そして抗えない絶望の中にある微かな心地よさを、幻想的で美しいサウンドスケープに描き出した一曲です。

その歌詞は多くの解釈を許容し、聴く人一人ひとりの心に寄り添う深さを持っています。もしあなたがこの曲に何かを感じたなら、それは歌詞の世界とあなたの心のどこかが、静かに共鳴しているからなのかもしれません。

この色褪せることのない名曲が、これからも多くの人の心に届くことを願っています。

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